夏旅(4)境港〜広島
4日目
8時起床。境港に行く前に松江観光をしとこうと思い、松江城のお堀に沿った道にある小泉八雲記念館へ。小泉八雲の「八雲」は、「出雲」の枕詞である「八雲立つ」という言葉から来ているとか。
僕はこの人は日本人よりも日本人な人だと勝手に思っていたんだけれども、「日本人は豆腐ばかり食っていて、個性が無い。個性を生むには肉を食わなければダメだ。」と言っていたそうだ(かなり意訳)。そういうとこやっぱり外人なのね。
近くの蕎麦屋「八雲」で名物だという「鴨なんばん」を食う。朝から重いかと思ったがうまい。
そしてこれまた近くの土産屋で、瑪瑙の勾玉を買う。
出雲は瑪瑙(めのう)の産地でもある。ちなみに、僕の誕生石も瑪瑙。
*
松江はほどほどに境港へ出発。
実は、松江にはもう一つ行きたい場所があった。ルイス・C.ティファニー美術館だ。ガイドブックの写真を見るとアールヌーボーのコレクションがすばらしいし、とても見たかったのだけど、入場料2000円!!高すぎやしませんか?ハンガリーで見たアールヌーボーの美術館は100円だったし。くそー、美術館も貧乏人は来るなということか。。
くやし涙を拭いている間に境港に到着。松江からすごく近かった。県境だから境港なんだろう。
水木しげるの妖怪のブロンズ像がある水木ロードを歩く。めちゃくちゃテンションがあがり、写真とりまくり。
お〜、べとべとさんだ!

お〜!ぬりかべだ!!!

お〜!!!コケカキイキイだ!!!!!

お〜!!!!目玉の親父だ!!!!!!!!

お〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

お〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

水木ロードの果てに記念館がある。水木さんは、3歳まで言葉を話さなかったが、一番最初に発した言葉が、「ネンコンババ」だったという。猫の糞という意味。かっこいい。
妖怪の人形や、パプアニューギニアの仮面のコレクションなどなどを経て、最後に水木さんの漫画が読めるコーナー。手塚記念館でもそうだったけど、これが一番うれしい。
「東西奇ッ怪紳士録(1)」の平賀源内の話を読む。源内さんはかしこいのかアホなのか良く分からん人だ。途中、「外国のものめずらしい品を買う事は、どんどん日本の金が海外へ出て行ってしまうという事だ。それを防ぐ為に、俺が日本で同じものを作るんだ」という部分があるんだけど、やっぱりそうだったんだな。石見銀山の銀は正しく使われたのだろうか。。
昼飯は、港近くの市場で食うと決めていた。
カニとろ丼カニ味噌付き。ンマ〜イ!(藤子A風)。
市場で土産に魚でも買いたいところだったが(自分の為)、資金が危うくなってきたので断念。さて、水木さんの生家でも見に行こうかなと思っていたが、眠くなってその市場の駐車場で寝てしまう。
*
ふと目を覚ますと5時。さてそろそ起きようかと思った瞬間、血の気が引く。
わー!誰もいない!さっきまで満車だったのに僕の車しかない!
あせって出口を探すと、何のことはない、ちゃんと出れた。閉じ込められたかと思ってあせった。。
まだ5時で、昼間のカニとろ丼カニ味噌付きが腹の中に残っていたが、耐え切れず近くの寿司屋へ行く。一皿120円だが、これまたうまい!普段寿司は4,5皿しか食えないけど、10皿も食ってしまった。
水木さんの家を適当に探していると、水木さんが子どもの頃影響を受けたと言う地獄絵図があるという寺を見つける。外から見ただけだが、立派なお寺だ。
しかし、この辺は街灯もそんなに多くなく、暗くなると本当に妖怪が出そうな雰囲気だ。
幼い頃の水木少年に大きな想像力を与えたのだ、この闇が。
すっかり暗くなってさびしくなって来たので、広島へ帰ることに。下道をひたすら走って、3、4時間で到着。途中、運転中に鼻血が大量に出る。うまいもの食いすぎたか。。
は!妖怪のしわざかも。
5日目
アニメーションフェスも最終日。
アレクサンドル・ アレクセイエフの作品を初鑑賞。すごすぎる。ピンスクリーンによるアニメーション。また別館で書くことにしよう。。
ルネ・ラルーの原画展を見て感動。途中抜け出て、土産を買いに百貨店へ。しかし、適当に味見して買った土産は、名古屋の菓子だったと帰ってから気づくことになる。
そして、平和記念公園の慰霊碑と原爆ドームに手を合わす。ここは絶対来ねばならん。
再び会場へ戻る。今日は、コンペティション最終審査。入賞作品の上映を見る。
ここでやっぱり思ったことは、観客の目と僕の目が違うと言う事だった。観客に受けのいいものが、僕にはわからない。というか、面白くないのがわかる。
観客の目が大したもんじゃないのは、2回のコンペティションで分かりきっていた。その時、観客の爆笑を取って、僕の怒りをかった作品はやっぱり賞をとらなかった。
アニメーションを見に来る人=感覚が研ぎ澄まされている人 というわけではないのだ。そして作っている人も、やっぱりほとんどの人がその観客と変わらないくらいの感性しか無いようにも思えた。
しかしグランプリのMilchはよかった。胸にズキズキ来る感覚。何回でもこの気持ち悪さを味わいたい、そう思った。
9時半頃会場を後に。まだ興奮覚めやらぬ状態だったが、また400kmの道のりをひたすら下道で帰るのだ。今この勢いで帰らねば、と思い広島を後にする。
途中で仮眠を取りながら最終的に家に着いたのは6日目の昼だった。ひさしぶりの布団で爆睡。
久しぶりにいい旅をした。しかし、まだ島根の魚の味が忘れられないでいる。
* おしまい *
8時起床。境港に行く前に松江観光をしとこうと思い、松江城のお堀に沿った道にある小泉八雲記念館へ。小泉八雲の「八雲」は、「出雲」の枕詞である「八雲立つ」という言葉から来ているとか。
僕はこの人は日本人よりも日本人な人だと勝手に思っていたんだけれども、「日本人は豆腐ばかり食っていて、個性が無い。個性を生むには肉を食わなければダメだ。」と言っていたそうだ(かなり意訳)。そういうとこやっぱり外人なのね。
近くの蕎麦屋「八雲」で名物だという「鴨なんばん」を食う。朝から重いかと思ったがうまい。
そしてこれまた近くの土産屋で、瑪瑙の勾玉を買う。
出雲は瑪瑙(めのう)の産地でもある。ちなみに、僕の誕生石も瑪瑙。
*
松江はほどほどに境港へ出発。
実は、松江にはもう一つ行きたい場所があった。ルイス・C.ティファニー美術館だ。ガイドブックの写真を見るとアールヌーボーのコレクションがすばらしいし、とても見たかったのだけど、入場料2000円!!高すぎやしませんか?ハンガリーで見たアールヌーボーの美術館は100円だったし。くそー、美術館も貧乏人は来るなということか。。
くやし涙を拭いている間に境港に到着。松江からすごく近かった。県境だから境港なんだろう。
水木しげるの妖怪のブロンズ像がある水木ロードを歩く。めちゃくちゃテンションがあがり、写真とりまくり。
お〜、べとべとさんだ!

お〜!ぬりかべだ!!!

お〜!!!コケカキイキイだ!!!!!

お〜!!!!目玉の親父だ!!!!!!!!

お〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

お〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

水木ロードの果てに記念館がある。水木さんは、3歳まで言葉を話さなかったが、一番最初に発した言葉が、「ネンコンババ」だったという。猫の糞という意味。かっこいい。
妖怪の人形や、パプアニューギニアの仮面のコレクションなどなどを経て、最後に水木さんの漫画が読めるコーナー。手塚記念館でもそうだったけど、これが一番うれしい。
「東西奇ッ怪紳士録(1)」の平賀源内の話を読む。源内さんはかしこいのかアホなのか良く分からん人だ。途中、「外国のものめずらしい品を買う事は、どんどん日本の金が海外へ出て行ってしまうという事だ。それを防ぐ為に、俺が日本で同じものを作るんだ」という部分があるんだけど、やっぱりそうだったんだな。石見銀山の銀は正しく使われたのだろうか。。
昼飯は、港近くの市場で食うと決めていた。
カニとろ丼カニ味噌付き。ンマ〜イ!(藤子A風)。
市場で土産に魚でも買いたいところだったが(自分の為)、資金が危うくなってきたので断念。さて、水木さんの生家でも見に行こうかなと思っていたが、眠くなってその市場の駐車場で寝てしまう。
*
ふと目を覚ますと5時。さてそろそ起きようかと思った瞬間、血の気が引く。
わー!誰もいない!さっきまで満車だったのに僕の車しかない!
あせって出口を探すと、何のことはない、ちゃんと出れた。閉じ込められたかと思ってあせった。。
まだ5時で、昼間のカニとろ丼カニ味噌付きが腹の中に残っていたが、耐え切れず近くの寿司屋へ行く。一皿120円だが、これまたうまい!普段寿司は4,5皿しか食えないけど、10皿も食ってしまった。
水木さんの家を適当に探していると、水木さんが子どもの頃影響を受けたと言う地獄絵図があるという寺を見つける。外から見ただけだが、立派なお寺だ。
しかし、この辺は街灯もそんなに多くなく、暗くなると本当に妖怪が出そうな雰囲気だ。
幼い頃の水木少年に大きな想像力を与えたのだ、この闇が。
すっかり暗くなってさびしくなって来たので、広島へ帰ることに。下道をひたすら走って、3、4時間で到着。途中、運転中に鼻血が大量に出る。うまいもの食いすぎたか。。
は!妖怪のしわざかも。
5日目
アニメーションフェスも最終日。
アレクサンドル・ アレクセイエフの作品を初鑑賞。すごすぎる。ピンスクリーンによるアニメーション。また別館で書くことにしよう。。
ルネ・ラルーの原画展を見て感動。途中抜け出て、土産を買いに百貨店へ。しかし、適当に味見して買った土産は、名古屋の菓子だったと帰ってから気づくことになる。
そして、平和記念公園の慰霊碑と原爆ドームに手を合わす。ここは絶対来ねばならん。
再び会場へ戻る。今日は、コンペティション最終審査。入賞作品の上映を見る。
ここでやっぱり思ったことは、観客の目と僕の目が違うと言う事だった。観客に受けのいいものが、僕にはわからない。というか、面白くないのがわかる。
観客の目が大したもんじゃないのは、2回のコンペティションで分かりきっていた。その時、観客の爆笑を取って、僕の怒りをかった作品はやっぱり賞をとらなかった。
アニメーションを見に来る人=感覚が研ぎ澄まされている人 というわけではないのだ。そして作っている人も、やっぱりほとんどの人がその観客と変わらないくらいの感性しか無いようにも思えた。
しかしグランプリのMilchはよかった。胸にズキズキ来る感覚。何回でもこの気持ち悪さを味わいたい、そう思った。
9時半頃会場を後に。まだ興奮覚めやらぬ状態だったが、また400kmの道のりをひたすら下道で帰るのだ。今この勢いで帰らねば、と思い広島を後にする。
途中で仮眠を取りながら最終的に家に着いたのは6日目の昼だった。ひさしぶりの布団で爆睡。
久しぶりにいい旅をした。しかし、まだ島根の魚の味が忘れられないでいる。
* おしまい *
追記(クリックしてください)
帰ってから、僕が滞在中の広島で世界妖怪会議があったと知る。がー!生水木さんが見れたのに。。残念。
- [2006/09/05 18:02]
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夏旅(3)出雲大社〜松江
3日目 昼
この旅の第二の目的地、出雲大社に到着。今年のゴールデンウィークにも行こうと思っていたのだが、僕の頭の中のバカ地図では島根は鳥取の位置に存在していたので、実際の場所を知るとその遠さから結局あきらめたのだった。
出雲大社は全国の神様が集まるところ。旧暦の10月を神無月と呼ぶが、この出雲では、神有月と呼ぶ。
大きな鳥居をくぐり、松の木の間を歩く。サンダルなので足が砂だらけになる。



巨大で立派なお社で、なんか余計なものがあまり無く荘厳な感じを受ける。二拝四拍手一拝で参拝。なんで普通より二拍手多いんだろう。
横のカップルはお互い恥ずかしいのか、四拍手をめっちゃ速くたたいていた。
その気持ちは分からなくも無い。僕も昔は神社など一年に一度も行かなかったし、手を叩かず拝んだりしていた。しかし、今は作法どおりする。しかし手を合わせて目をつむるとなぜこうも落ち着くのか。
出雲大社は古代、今よりずっと大きな大神殿だったという。高さは48メ−トルもあり、木の階段を登って参拝したとか。近年、その支柱が実際に発掘され、どうやらそれは本当らしいというのが有力な説となっている。おそるべし古代人。


ここで働いている人は誰もが、神様の前を通るときは一礼をする。神主や巫女だけでない、警備員も。きっとここには古代からの伝統が大切に残されているのだろう。京都の寺社にも見せてやりたい。
宝物殿へ入る。昔の大社の様子を描いた掛け軸や、名刀のコレクション。天井には、本殿に描かれているという八雲の図の写し。色がサイケ。配色と配置に意味があるとか。読み取ろうとしたが分からず。
http://www.izumooyashiro.or.jp/keidai/honden/hondenwall.html
出雲大社、高野山に匹敵するくらいの素晴らしさだった。
*
腹は減っていないが出雲名物の蕎麦を食いに行く。大社から10分ほどの蕎麦屋。店員のおばちゃんがにこやか。今日二回目のそばは、冷たくは無いが美味い。麺の太さがまばらなのは、手で切っている証拠かな。でも、もみじおろしを全部食ってしまい辛かった。
さて、時間は4時。とりあえず今回の旅の目的は達せられた。さあこれからどうしよう。近くに道の駅があったので、今日の寝床はここにしようか悩む。しかし地図をよく見ていると松江が近い。ん?しかも、さらにちょっと行くと境港に行ける!?
境港と言えば水木しげる大先生の故郷ではないか!
旅の第3の目的を見つけ、俄然やる気が出る。とりあえず松江を目指すことに。
*
松江市街の手前に宍道湖という大きな湖がある。温泉も有名のようだ。本当ならここに泊まりたいところだが、日帰り温泉ガイドに載っていた社会保険センターの展望浴場へ行く。
浴場は普通だが、確かに宍道湖が見えて気持ちいい。誰もいなかったので、携帯で写真を撮る。長湯になってしまった。
松江市内に入り、ハードオフ(リサイクルショップ)を見つける。なんとなく覗いてみると地元のより断然広い。さらにAlice Coltrane の CDが売っていたので購入。
さてどこで寝よう。あたりは真っ暗だし、早めに寝る場所を探さねば。
30分ほど探すも、いい場所が見つからず、結局松江駅近くのパーキングに駐車。もうここでいいかと思い、居酒屋に飲みに行くことに。ふらっと立ち寄った居酒屋は当たりだった。
赤天、マグロほほ肉、マグロのかま、あわび刺身、焼酎とたらふく飲み食い。魚介美味すぎ。ああ島根県民になりたい。
となりで若者が3人飲んでいた。そのうちの一人が「おまえ、魚のここ食わんとどこ食うんね?」と魚の食い方を他の二人にレクチャーしていた。連れと飲んでいる時の俺みたいなことを言ってるな。。
いい感じで酔っ払ったので、もう一軒と思ったが、前の店で金を使いすぎたので、欲望を抑えて寝る。
明日は境港を目指す。
この旅の第二の目的地、出雲大社に到着。今年のゴールデンウィークにも行こうと思っていたのだが、僕の頭の中のバカ地図では島根は鳥取の位置に存在していたので、実際の場所を知るとその遠さから結局あきらめたのだった。
出雲大社は全国の神様が集まるところ。旧暦の10月を神無月と呼ぶが、この出雲では、神有月と呼ぶ。
大きな鳥居をくぐり、松の木の間を歩く。サンダルなので足が砂だらけになる。



巨大で立派なお社で、なんか余計なものがあまり無く荘厳な感じを受ける。二拝四拍手一拝で参拝。なんで普通より二拍手多いんだろう。
横のカップルはお互い恥ずかしいのか、四拍手をめっちゃ速くたたいていた。
その気持ちは分からなくも無い。僕も昔は神社など一年に一度も行かなかったし、手を叩かず拝んだりしていた。しかし、今は作法どおりする。しかし手を合わせて目をつむるとなぜこうも落ち着くのか。
出雲大社は古代、今よりずっと大きな大神殿だったという。高さは48メ−トルもあり、木の階段を登って参拝したとか。近年、その支柱が実際に発掘され、どうやらそれは本当らしいというのが有力な説となっている。おそるべし古代人。


ここで働いている人は誰もが、神様の前を通るときは一礼をする。神主や巫女だけでない、警備員も。きっとここには古代からの伝統が大切に残されているのだろう。京都の寺社にも見せてやりたい。
宝物殿へ入る。昔の大社の様子を描いた掛け軸や、名刀のコレクション。天井には、本殿に描かれているという八雲の図の写し。色がサイケ。配色と配置に意味があるとか。読み取ろうとしたが分からず。
http://www.izumooyashiro.or.jp/keidai/honden/hondenwall.html
出雲大社、高野山に匹敵するくらいの素晴らしさだった。
*
腹は減っていないが出雲名物の蕎麦を食いに行く。大社から10分ほどの蕎麦屋。店員のおばちゃんがにこやか。今日二回目のそばは、冷たくは無いが美味い。麺の太さがまばらなのは、手で切っている証拠かな。でも、もみじおろしを全部食ってしまい辛かった。
さて、時間は4時。とりあえず今回の旅の目的は達せられた。さあこれからどうしよう。近くに道の駅があったので、今日の寝床はここにしようか悩む。しかし地図をよく見ていると松江が近い。ん?しかも、さらにちょっと行くと境港に行ける!?
境港と言えば水木しげる大先生の故郷ではないか!
旅の第3の目的を見つけ、俄然やる気が出る。とりあえず松江を目指すことに。
*
松江市街の手前に宍道湖という大きな湖がある。温泉も有名のようだ。本当ならここに泊まりたいところだが、日帰り温泉ガイドに載っていた社会保険センターの展望浴場へ行く。
浴場は普通だが、確かに宍道湖が見えて気持ちいい。誰もいなかったので、携帯で写真を撮る。長湯になってしまった。
松江市内に入り、ハードオフ(リサイクルショップ)を見つける。なんとなく覗いてみると地元のより断然広い。さらにAlice Coltrane の CDが売っていたので購入。
さてどこで寝よう。あたりは真っ暗だし、早めに寝る場所を探さねば。
30分ほど探すも、いい場所が見つからず、結局松江駅近くのパーキングに駐車。もうここでいいかと思い、居酒屋に飲みに行くことに。ふらっと立ち寄った居酒屋は当たりだった。
赤天、マグロほほ肉、マグロのかま、あわび刺身、焼酎とたらふく飲み食い。魚介美味すぎ。ああ島根県民になりたい。
となりで若者が3人飲んでいた。そのうちの一人が「おまえ、魚のここ食わんとどこ食うんね?」と魚の食い方を他の二人にレクチャーしていた。連れと飲んでいる時の俺みたいなことを言ってるな。。
いい感じで酔っ払ったので、もう一軒と思ったが、前の店で金を使いすぎたので、欲望を抑えて寝る。
明日は境港を目指す。
- [2006/09/04 21:18]
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夏旅(2)広島〜石見銀山
2日目
8時ごろ起床。車の中は意外と寝れるが、寝返りは打てないので、やはり少し疲れが残る。9時までに移動しなければ料金を取られるので、平和記念公園へ。公衆トイレで顔を洗う。そういえば10年前はじめて広島に来た時もここにお世話になった。
コンビニでおにぎり買って9時から今日もアニメフェスへ。ロシアの「お馬さんの話」、スウェーデンの「ブランド・ティストラー」がよかった。
晩飯は広島焼きを食う。「へんくつ屋」という店。店員がダルそうだったがうまかった。
夜もコンペティションを見たがやはり途中退場。最終日に受賞作だけが上映されるので、それに期待することにする。
すっかり夜になり、昨日と同じ風呂屋へ。券売機で券を買い、カウンターのおばちゃんに渡すとロッカーのカギをくれるのだが、昨日と色が違う。変だなと思いつつのれんをくぐると、「ちょっと!違いますよ!」って言われる。へ?何が?のれんを見ると女湯の文字。。謝ってそそくさと男湯へ。毎日男湯と女湯が入れ替わるらしい。はずかし。。
最近自分が天然だということに気づいてきた。。
明日は島根へ移動する予定。
3日目朝
朝起きて出雲大社を目指す。下道で広島から3,4時間の予定。途中断魚渓という景勝地を通る。駐車場に車を止め5分ほど山道を歩くと川の流れる音が聞こえてきた。期待が高まる・・・が、うーん。普通。とりあえずいい汗かいた。

気を取り直して出雲への道をひた走る。途中で「宇宙神道 世界神宮」という文字。何だろう?新興宗教?おもしろスポット?ちょっと見たい、と思って探すもよく場所がわからない。気になるがあきらめた。
正午頃,石見(いわみ)銀山へ到着。まず五百羅漢があるという羅漢寺に行く。江戸時代に岩山を削ってお堂を造り,その中に500体の羅漢を収めたという。

風化防止のための扉を開けると、さまざまな姿の羅漢たち。にこやかにしているもの、まじめに経を読んでいるもの、片ひざ立てて隣や後ろと談笑しているもの、さまざまな表情を持った羅漢たちがおもしろい。しかし、その中になんじゃこりゃ!っていう羅漢がいた。
その羅漢は、袈裟の懐の所に、何か丸いものを隠し持って大笑いしていた。何だろうと良く見ると、お釈迦さまの頭だ。ブロンズ色なので、仏像の頭部なのだろう。
「すんません、盗んできました。なはは」と言っているかのようなその姿に、こっちも爆笑してしまった。そんなことしたらアカンやん!
お堂内部は撮影禁止だったため、みなさんにお見せできないのが悔やまれる。
羅漢を満喫後、近くの蕎麦屋で昼飯にそばをいただく。
石見銀山の中でも一番大きい間歩(まぶ。坑道の入り口)である、龍源寺間歩へ向かう。駐車場なのかなんなのかわからない広いスペースに駐車する。どうやら僕一人のようなので、適当な場所に止める。
間歩の方へ歩いていくと家族連れとすれ違う。子供が「なんでこげん歩かんといけんのけんねえ?」と言っていた。子どもの話す方言はかわいい。
間歩の入り口はしっかりと丸太で作られていて(後になって作られたものかも)、上には神棚があった。

中に入るとひんやりと涼しい。まるで天然冷蔵庫。少し体をかがめなくてはいけないくらいの大きさ。
人が通る道とは別に所々小さい穴がいくつかある。それらは空気穴や、排水口として掘られたものだ。

間歩を出てすぐの佐毘売山(さひめやま)神社を参拝。お社がいい感じに味が出ている。採掘が盛んな時には、この土地は繁栄していた事だろう。


この銀山は、江戸時代、世界でも有数の銀の産地だった。よくあんなに奥深く掘る技術があったものだ。江戸人おそるべし。しかし、おそらく、ここで採掘された多くの銀は、その当時の拙い貿易のために無駄遣いされたのではないだろうか。せっかくの資源も、適切な使い方をしなければ、国を貧しくさせるだろう。そういう意味では当時の日本人は遅れていただろうし、やはり世界を見渡せる人が必要だったのではないか。
そんな事を考えながら駐車場へ戻ると、僕の車一台だったはずが5台に増えていた。適当に何も考えず止めた僕の車を基準として、あとから来た人がそれに合わせて整然と駐車していた。ちょっとおもしろい。
まだ午後2時。出雲大社へ向かう。
8時ごろ起床。車の中は意外と寝れるが、寝返りは打てないので、やはり少し疲れが残る。9時までに移動しなければ料金を取られるので、平和記念公園へ。公衆トイレで顔を洗う。そういえば10年前はじめて広島に来た時もここにお世話になった。
コンビニでおにぎり買って9時から今日もアニメフェスへ。ロシアの「お馬さんの話」、スウェーデンの「ブランド・ティストラー」がよかった。
晩飯は広島焼きを食う。「へんくつ屋」という店。店員がダルそうだったがうまかった。
夜もコンペティションを見たがやはり途中退場。最終日に受賞作だけが上映されるので、それに期待することにする。
すっかり夜になり、昨日と同じ風呂屋へ。券売機で券を買い、カウンターのおばちゃんに渡すとロッカーのカギをくれるのだが、昨日と色が違う。変だなと思いつつのれんをくぐると、「ちょっと!違いますよ!」って言われる。へ?何が?のれんを見ると女湯の文字。。謝ってそそくさと男湯へ。毎日男湯と女湯が入れ替わるらしい。はずかし。。
最近自分が天然だということに気づいてきた。。
明日は島根へ移動する予定。
3日目朝
朝起きて出雲大社を目指す。下道で広島から3,4時間の予定。途中断魚渓という景勝地を通る。駐車場に車を止め5分ほど山道を歩くと川の流れる音が聞こえてきた。期待が高まる・・・が、うーん。普通。とりあえずいい汗かいた。

気を取り直して出雲への道をひた走る。途中で「宇宙神道 世界神宮」という文字。何だろう?新興宗教?おもしろスポット?ちょっと見たい、と思って探すもよく場所がわからない。気になるがあきらめた。
正午頃,石見(いわみ)銀山へ到着。まず五百羅漢があるという羅漢寺に行く。江戸時代に岩山を削ってお堂を造り,その中に500体の羅漢を収めたという。

風化防止のための扉を開けると、さまざまな姿の羅漢たち。にこやかにしているもの、まじめに経を読んでいるもの、片ひざ立てて隣や後ろと談笑しているもの、さまざまな表情を持った羅漢たちがおもしろい。しかし、その中になんじゃこりゃ!っていう羅漢がいた。
その羅漢は、袈裟の懐の所に、何か丸いものを隠し持って大笑いしていた。何だろうと良く見ると、お釈迦さまの頭だ。ブロンズ色なので、仏像の頭部なのだろう。
「すんません、盗んできました。なはは」と言っているかのようなその姿に、こっちも爆笑してしまった。そんなことしたらアカンやん!
お堂内部は撮影禁止だったため、みなさんにお見せできないのが悔やまれる。
羅漢を満喫後、近くの蕎麦屋で昼飯にそばをいただく。
石見銀山の中でも一番大きい間歩(まぶ。坑道の入り口)である、龍源寺間歩へ向かう。駐車場なのかなんなのかわからない広いスペースに駐車する。どうやら僕一人のようなので、適当な場所に止める。
間歩の方へ歩いていくと家族連れとすれ違う。子供が「なんでこげん歩かんといけんのけんねえ?」と言っていた。子どもの話す方言はかわいい。
間歩の入り口はしっかりと丸太で作られていて(後になって作られたものかも)、上には神棚があった。

中に入るとひんやりと涼しい。まるで天然冷蔵庫。少し体をかがめなくてはいけないくらいの大きさ。
人が通る道とは別に所々小さい穴がいくつかある。それらは空気穴や、排水口として掘られたものだ。

間歩を出てすぐの佐毘売山(さひめやま)神社を参拝。お社がいい感じに味が出ている。採掘が盛んな時には、この土地は繁栄していた事だろう。


この銀山は、江戸時代、世界でも有数の銀の産地だった。よくあんなに奥深く掘る技術があったものだ。江戸人おそるべし。しかし、おそらく、ここで採掘された多くの銀は、その当時の拙い貿易のために無駄遣いされたのではないだろうか。せっかくの資源も、適切な使い方をしなければ、国を貧しくさせるだろう。そういう意味では当時の日本人は遅れていただろうし、やはり世界を見渡せる人が必要だったのではないか。
そんな事を考えながら駐車場へ戻ると、僕の車一台だったはずが5台に増えていた。適当に何も考えず止めた僕の車を基準として、あとから来た人がそれに合わせて整然と駐車していた。ちょっとおもしろい。
まだ午後2時。出雲大社へ向かう。
- [2006/09/04 01:26]
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夏旅(1)いざ広島
出発前日 夜
仕事を終え一旦家に帰る。そのまま広島へ向かいたかったが、その夜、バイクの買取業者を呼んでいたから仕方がなかった。20代前半の移動手段はもっぱらバイクだった。色んな人と色んな所へ行った思い入れがあるバイクだったが、車に乗り始めてからほったらかしになっていて、ついに手放すことにした。
長年メンテナンスもしなかったバイクは、1円も値段がつかなかったが、トラックに載せられるのを見るとなんとも言えない気持ちになった。
バイク屋が言った。
「思い入れのあるバイクでしょうけど、絶対にまた他の方に乗っていただけるようにしますので」 決り文句だろうが、泣かすでない、バイク屋。
近所のダイソーへ行き、耳栓と歯ブラシ購入。寝袋、着替え、CD、あれこれ準備をしている間に22:00。
さて、そろそろ出ようかと思ったが財布が無いことに気づく。
・・・無い。無い。無い。ひょっとしてダイソーで落とした?
もう店は閉まっているし、財布が無ければどうしようもない。今日は出発できないのか・・・と必死で探して1時間後、車の座席の下でブツ発見。。
いいのかこんなんでいいのか。20代最後の夜がこんなんでいいのか。
そう、あと1時間で三十路へ突入。
1日目
京都を走っているところで誕生日を迎える。
滋賀から広島まで400km。しかも下道だから徹夜で走らなければ朝までに着かない。
9号、372号線を使って姫路へ、大阪と神戸を回避できるルート。姫路からはひたすら2号線。一部を除いてバイパス化しているので、結構速い。
5時半頃、尾道に着きダウン。パーキングで二時間仮眠。
車の助手席を倒してフラットにし、耳栓とアイマスクで熟睡。結構寝れた。
10時頃広島入り。今日、明日はアニメ三昧になる予定。
広島国際アニメーションフェスティバルが今日から5日間にわたって開催されるのだ。このフェスは二年に1回行われる映画祭で、初めていったのは4年前の2002年だった。
そこで、僕は川本喜八郎氏のDVDを買い、サインをもらった。DVDプレイヤーは持っていなかったがそれが買うきっかけになった。そして、フィレンツ・カーコの砂のアニメーションは今でも忘れないほどの素晴らしいパフォーマンスだった。
2年前は行けなかったので、今年はすごく楽しみにしていた。
会場近くの駐車場を探したが、会場に駐車場があったのでそこに入れる。今回は無料だったが、10月から有料になるとか。助かった。
11時から最初の上映を見る。売店でおにぎりを買い昼からは「ルネ・ラルー回顧特集」。「ルネ・ラルーのインタビュー」までは起きていたが「ファンタスティックプラネット」で寝てしまう。会場から出ると、同じ職場のアニメーターに声をかけられる。寝不足の僕と違いテンションが高い。僕も前日から入りたかった。。
そして「死者の書」。川本さんが舞台挨拶に来られていた。二回目だから前より理解できた。やはり感動した。
良かった作品は、別ブログで紹介予定。
そして18時からコンペティション。53作品から優秀な作品を選ぶのだが、7本中5本がつまらない。途中退出する。
近くの讃岐うどん屋で飯を食い、さて、とりあえず風呂を探さねば。この旅のために買ったと言ってもいいカーナビが役立つ。近くの銭湯に入り、今度は寝床を探す。高速料金もケチるくらいだ、ホテルなどに泊まる金はない。一時間走り回ったがいい場所が無く、結局平和記念公園近くの駐車場へ。夜間無料なのでありがたい。
ビール買って女子バレー見ながら就寝。三十路、車で寝る。
仕事を終え一旦家に帰る。そのまま広島へ向かいたかったが、その夜、バイクの買取業者を呼んでいたから仕方がなかった。20代前半の移動手段はもっぱらバイクだった。色んな人と色んな所へ行った思い入れがあるバイクだったが、車に乗り始めてからほったらかしになっていて、ついに手放すことにした。
長年メンテナンスもしなかったバイクは、1円も値段がつかなかったが、トラックに載せられるのを見るとなんとも言えない気持ちになった。
バイク屋が言った。
「思い入れのあるバイクでしょうけど、絶対にまた他の方に乗っていただけるようにしますので」 決り文句だろうが、泣かすでない、バイク屋。
近所のダイソーへ行き、耳栓と歯ブラシ購入。寝袋、着替え、CD、あれこれ準備をしている間に22:00。
さて、そろそろ出ようかと思ったが財布が無いことに気づく。
・・・無い。無い。無い。ひょっとしてダイソーで落とした?
もう店は閉まっているし、財布が無ければどうしようもない。今日は出発できないのか・・・と必死で探して1時間後、車の座席の下でブツ発見。。
いいのかこんなんでいいのか。20代最後の夜がこんなんでいいのか。
そう、あと1時間で三十路へ突入。
1日目
京都を走っているところで誕生日を迎える。
滋賀から広島まで400km。しかも下道だから徹夜で走らなければ朝までに着かない。
9号、372号線を使って姫路へ、大阪と神戸を回避できるルート。姫路からはひたすら2号線。一部を除いてバイパス化しているので、結構速い。
5時半頃、尾道に着きダウン。パーキングで二時間仮眠。
車の助手席を倒してフラットにし、耳栓とアイマスクで熟睡。結構寝れた。
10時頃広島入り。今日、明日はアニメ三昧になる予定。
広島国際アニメーションフェスティバルが今日から5日間にわたって開催されるのだ。このフェスは二年に1回行われる映画祭で、初めていったのは4年前の2002年だった。
そこで、僕は川本喜八郎氏のDVDを買い、サインをもらった。DVDプレイヤーは持っていなかったがそれが買うきっかけになった。そして、フィレンツ・カーコの砂のアニメーションは今でも忘れないほどの素晴らしいパフォーマンスだった。
2年前は行けなかったので、今年はすごく楽しみにしていた。
会場近くの駐車場を探したが、会場に駐車場があったのでそこに入れる。今回は無料だったが、10月から有料になるとか。助かった。
11時から最初の上映を見る。売店でおにぎりを買い昼からは「ルネ・ラルー回顧特集」。「ルネ・ラルーのインタビュー」までは起きていたが「ファンタスティックプラネット」で寝てしまう。会場から出ると、同じ職場のアニメーターに声をかけられる。寝不足の僕と違いテンションが高い。僕も前日から入りたかった。。
そして「死者の書」。川本さんが舞台挨拶に来られていた。二回目だから前より理解できた。やはり感動した。
良かった作品は、別ブログで紹介予定。
そして18時からコンペティション。53作品から優秀な作品を選ぶのだが、7本中5本がつまらない。途中退出する。
近くの讃岐うどん屋で飯を食い、さて、とりあえず風呂を探さねば。この旅のために買ったと言ってもいいカーナビが役立つ。近くの銭湯に入り、今度は寝床を探す。高速料金もケチるくらいだ、ホテルなどに泊まる金はない。一時間走り回ったがいい場所が無く、結局平和記念公園近くの駐車場へ。夜間無料なのでありがたい。
ビール買って女子バレー見ながら就寝。三十路、車で寝る。
- [2006/09/02 23:50]
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ブダ・ペスト・デ・ジャブ
僕の部屋に観葉植物が来て1週間がたった。
100円ショップで売ってる、手のひらに乗るくらい小さな鉢だが、なかなか見てるのが楽しい。
なんか、買ったときより元気がないような気がするが、どうなんだろう。ちゃんと育て方も調べて、その通りにやってるつもりだけど、初めてなのでよくわからん。・・・いや、二回目か。
+
ハンガリーに行った時のこと。
首都のブダペストについたのがすでに夕方だったが、泊まる所を決めていなかったので困っていた。旅行本で調べ、ある宿屋に向かった。
この辺かなと思って歩いていると、じいさんが声をかけてきた。一度は気づかない振りをして通り過ぎた。何かの客引きだと思ったのだ。
しかし、実はそこが目当ての場所だった。じいさんは、「アパートメント!」と声をかけていたのだ。僕は道を引き返した。ホテルがあるのかと思いきや、小さなオフィスだった。じいさんはよう来たなという感じで笑っていた。
じいさんは、英語ができなかった。いや、僕と同じくらい「できた」。
じいさんが「チャイナ?」と聞いてくる。
「ノー。ジャパン。」「オー。トーキオ?」「ノー。キヨート」「オー。キヨート!ヴェリー フェイマス」
それ以上の事は話していない。じいさんは話好きそうだったが、コミュニケーションが取れなくて申し訳なかった。昔話でも聞きたかった。
やがて、英語のできる娘が来てアパートメントの一室に案内してくれた。アパートメントとは、日本で言うマンションなどの一室を借りる宿で、管理人は別の場所にいる。
その部屋は広くて窓も大きく、キッチンやバスルームまで揃ったいい部屋だった。ちょうど3000円だった。ハンガリーではもっと安いところがあるようだが、もう探す気力が無かったので即、OKした。
部屋には、観葉植物の大きいものがいっぱい置いてあった。背の高さくらいあるものもあった。
しかし、これは僕が水をやったりするのだろうか?それとも、管理人が時々来て、部屋掃除とかのついでにしてくれるのだろうか?
アパートメントを借りたのは初めてだったので、わからない。でも、それならちゃんと説明してくれるはずだと思い込み、僕はそのままにしていた。
しかし、3,4日経っても誰も来ない。結局、僕はその観葉植物に毎日水をあげた。ペットボトルに水を入れて、ドボドボとたっぷりと。
++
ある日、ボイラーの火が消えた事があった。ガスがなんか出っ放しで臭い。怖い・・。火をつけ直してもいいのだろうか。これでは、風呂に入れないし、使い方がよくわからんので、ガスの元栓を閉めて、管理人を呼びにいった。
部屋で待っていたら、やって来たのはあのじいさんだった。彼は「おー、火が消えたか。俺に任せときな」とハンガリー語で言った(たぶん)。
ボイラーの火をつけ終わると、じいさんはこう言った。
「チャイナ?」
・・・あれ?
「ノー。ジャパン。」「オー。トーキオ?」「ノー。キヨート」「オー。キヨート!ヴェリー フェイマス!」
軽いデジャブ的会話を交わし、チップを渡すとじいさんは出て行った。
あ、しまった。植物の事聞くの忘れた。
++
10日後、部屋を出る日が来た。葉がしぼんじゃってる鉢が、2つくらいあった。
うーん。これは怒られるだろうか・・・。そう思いながら、僕はまた水をやっていた。水さえやればよいと思っていた。
結局、アパートメントを出る時、その事は確認しなかった。僕は、すっかり忘れてしまっていた。
そして最近、自分で育てる事になって、観葉植物でも育て方が色々あることを知った。日や水を与える量が植物の種類によって違うらしい。反省。
じいさん、宣伝しとくから許して。
Tribus Internet Hotel Service
100円ショップで売ってる、手のひらに乗るくらい小さな鉢だが、なかなか見てるのが楽しい。
なんか、買ったときより元気がないような気がするが、どうなんだろう。ちゃんと育て方も調べて、その通りにやってるつもりだけど、初めてなのでよくわからん。・・・いや、二回目か。
+
ハンガリーに行った時のこと。
首都のブダペストについたのがすでに夕方だったが、泊まる所を決めていなかったので困っていた。旅行本で調べ、ある宿屋に向かった。
この辺かなと思って歩いていると、じいさんが声をかけてきた。一度は気づかない振りをして通り過ぎた。何かの客引きだと思ったのだ。
しかし、実はそこが目当ての場所だった。じいさんは、「アパートメント!」と声をかけていたのだ。僕は道を引き返した。ホテルがあるのかと思いきや、小さなオフィスだった。じいさんはよう来たなという感じで笑っていた。
じいさんは、英語ができなかった。いや、僕と同じくらい「できた」。
じいさんが「チャイナ?」と聞いてくる。
「ノー。ジャパン。」「オー。トーキオ?」「ノー。キヨート」「オー。キヨート!ヴェリー フェイマス」
それ以上の事は話していない。じいさんは話好きそうだったが、コミュニケーションが取れなくて申し訳なかった。昔話でも聞きたかった。
やがて、英語のできる娘が来てアパートメントの一室に案内してくれた。アパートメントとは、日本で言うマンションなどの一室を借りる宿で、管理人は別の場所にいる。
その部屋は広くて窓も大きく、キッチンやバスルームまで揃ったいい部屋だった。ちょうど3000円だった。ハンガリーではもっと安いところがあるようだが、もう探す気力が無かったので即、OKした。
部屋には、観葉植物の大きいものがいっぱい置いてあった。背の高さくらいあるものもあった。
しかし、これは僕が水をやったりするのだろうか?それとも、管理人が時々来て、部屋掃除とかのついでにしてくれるのだろうか?
アパートメントを借りたのは初めてだったので、わからない。でも、それならちゃんと説明してくれるはずだと思い込み、僕はそのままにしていた。
しかし、3,4日経っても誰も来ない。結局、僕はその観葉植物に毎日水をあげた。ペットボトルに水を入れて、ドボドボとたっぷりと。
++
ある日、ボイラーの火が消えた事があった。ガスがなんか出っ放しで臭い。怖い・・。火をつけ直してもいいのだろうか。これでは、風呂に入れないし、使い方がよくわからんので、ガスの元栓を閉めて、管理人を呼びにいった。
部屋で待っていたら、やって来たのはあのじいさんだった。彼は「おー、火が消えたか。俺に任せときな」とハンガリー語で言った(たぶん)。
ボイラーの火をつけ終わると、じいさんはこう言った。
「チャイナ?」
・・・あれ?
「ノー。ジャパン。」「オー。トーキオ?」「ノー。キヨート」「オー。キヨート!ヴェリー フェイマス!」
軽いデジャブ的会話を交わし、チップを渡すとじいさんは出て行った。
あ、しまった。植物の事聞くの忘れた。
++
10日後、部屋を出る日が来た。葉がしぼんじゃってる鉢が、2つくらいあった。
うーん。これは怒られるだろうか・・・。そう思いながら、僕はまた水をやっていた。水さえやればよいと思っていた。
結局、アパートメントを出る時、その事は確認しなかった。僕は、すっかり忘れてしまっていた。
そして最近、自分で育てる事になって、観葉植物でも育て方が色々あることを知った。日や水を与える量が植物の種類によって違うらしい。反省。
じいさん、宣伝しとくから許して。
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- [2005/06/16 23:19]
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チェコ旅行記(3)〜なにしてたんだ
毎朝8時くらいに起き、トラム(路面電車)に乗ってプラハの中心地に行く。
Vaclavske namesti(ヴァツラフ広場。大通りがそのまま広場になっている)沿いにある二軒の大きな本屋をはしごして、トルンカ(チェコアニメの巨匠。日本の漫画界なら手塚治虫か)、ラデク・ピラーシュ1 2(チェコの人気キャラを数多く描くイラストレーター。現代アートのへんてこな作品もある。日本の漫画界なら藤子不二雄か)のぶっとい本、そして、アヴァンギャルド写真集などを見るのが日課。椅子に座ってゆっくり読める。人も少ない。
1920年-1950年くらいのアヴァンギャルド写真はかなり面白い。
チェコは、ピカソらが提唱した「キュビズム」が建築にまで及んだ唯一の国で、アートが溜まる場所のような印象を受けた。ドイツ、オーストリアに接し、ハンガリーや、ロシアなどにも近く、しかも山に囲まれているので、それらの文化が入っては来るが、どこにも逃げず溜まっていく場所のような。その点日本と似ているかもしれない。
毎日同じ町を歩いていても飽きない。必ず何かの発見がある。
というかプラハの旧市街は迷路のような町で、さらに僕は方向音痴なので、、同じ道を歩けないというのもある。
何気ない壁の落書きはセンスがよく、アートになっている(ヒップホップなのを除く。ヨーロッパ各地で見た奴らの落書きは、全部同じ人間が書いていると俺はにらんでいる。)。
壁の色自体もおもしろい。簡単に言えば土色で、ウィーンやロンドンなどの壁の上品な感じとは全然違う。ところどころ朽ちていたり、中身が剥き出しだったりして、何か重みがある。単に修理しているかどうかの差じゃないような気がする。

「壁の落書き(もちょっといい写真あったのですが、作品に使おうと思って。。)」
毎日ギャラリーや、名所、人形劇などに出かけるが、観光客狙いの場所を除けばチケット代は安いので、そんなに不自由しない。カメラは重いから気分次第で、持ち歩いたり持ち歩かなかったり。
シャッターチャンスにカメラを持っていないとすごくがっかりした気分になる。
町なら食い物にありつけるが、郊外に遊びに行ったとき、そこで食い物屋に入るのは勇気がいる。英語が通じない場合があったり、向こうがアジア人を見慣れていないのか、警戒されたりして(自意識過剰なのかもしれんけど)居心地が悪い。郊外ではレストランは数回しかいっていないような気がする。
チェコの若者はみな英語を話すが、僕は全くといっていいほど話せない。町を歩いていると、何度も道を聞かれた。しかしお役に立てたことは無い。間違った事を教えた事もある。あの白人のおっさんは無事ホテルについただろうか。。。
チェコの人は親切かもしれない。トラムに乗っていて、老人や、体の不自由な人が乗ってくると、若者は当然のように席を譲り、老人らは当然のように席に座る。さっぱりしていていい。
日本ならどうみてもチンピラにしか見えない兄ちゃんが、観光客に道を聞かれ、すごく親切に教えていた場面もよく見た。
これは、ヨーロッパ全般に言えるかもしれないが、たとえ初めてでも店に入る時は「ドブリーデン(こんにちは)」と挨拶をし、サービスを受けたら「ジェクエム(ありがとう)」、店を出るときは「ナスフレダノウ(さよなら)」。スーパーのレジのおばちゃんにだって言う時もある。日本では、ありえない(昔はあったのかもしれないが)。
プラハの中心地である旧市街はレストランが多い。チェコの伝統的な料理もあるが、中華、ピッツェリアも多い。ワインが安くて美味いが、パスタとかはあんまりな店が多かったなあ。
いずれまとめて美味い店などは紹介するが、MODRA ZAHRADAという店は、少し旧市街から離れているがパスタが美味かった。ワイン二杯+パスタで、650円くらいだった。
ちなみに、旧市街のレストランは、観光客ねらいの店が多く、こちらが観光客だとわかるとランチの時間でもディナーのメニューを持ってくる店がある。ランチのメニューを持ってこいって言うと不機嫌になる。この国では、まだ資本主義は行き届いてない。ある意味懐かしいが、その時はなめられてるとしか思えなかった。
レストランの料理もいいが、スーパーでパンとハムとチーズを買えばそれだけで毎日過ごせる。特にハムを食って感激してしまった。スーパーで買った5切れ40円ほどのハムが、涙の出るほど美味かった(飢えてたのか?)。内陸国であるためか、ハムやチーズの種類は半端じゃないが、魚はほとんど無い(あっても高い)。さかなクンの次に魚好きの僕には、最初苦痛だったが、その美味いハムのおかげで毎日すごせた(時にオイルサーディンの缶詰が僕を救った)。
チェコでかかせないのは、ビールである。毎日のように飲んでいた。
スーパーで缶ビール(350mm)は11kc(45円)。街中のレストランでも生ビール40kc(120円)くらいか。僕の泊まっていたHOTEL HASAに併設されたレストランでは、生が17kc(70円)。そりゃ現地のおっちゃんも(僕も)昼間から飲むよなあ。コカ・コーラより安いんだから。
チェコのビールは美味い。ピルスナーと呼ばれ、軽くてキレのある味。いくらでも呑めそうだが、2,3杯でいい感じに酔う。ちなみにアメリカのバドワイザーは、チェコのブドヴァルという土地のビールが元になっている。
休日は、ホテル併設のレストランで大宴会が夜中まであるから、なかなか寝られない日もあった。横の部屋の若者が、朝からステレオガンガンで、スパニッシュな音楽をかけていたから、こっちも壁をガンガン叩いたこともあった。
日本でも、旅先にはいい名所と悪い名所がある。いい名所は、景観を損なわないように気を使っている。
プラハは、映画のセットのような美しい街だった。もちろん、プラハにもいい名所と悪い名所があったが。
感動した名所は、プラハ城。
ヘンテコな名所は、テレビ塔。これがスゴイ。
それらは次回に。
Vaclavske namesti(ヴァツラフ広場。大通りがそのまま広場になっている)沿いにある二軒の大きな本屋をはしごして、トルンカ(チェコアニメの巨匠。日本の漫画界なら手塚治虫か)、ラデク・ピラーシュ1 2(チェコの人気キャラを数多く描くイラストレーター。現代アートのへんてこな作品もある。日本の漫画界なら藤子不二雄か)のぶっとい本、そして、アヴァンギャルド写真集などを見るのが日課。椅子に座ってゆっくり読める。人も少ない。
1920年-1950年くらいのアヴァンギャルド写真はかなり面白い。
チェコは、ピカソらが提唱した「キュビズム」が建築にまで及んだ唯一の国で、アートが溜まる場所のような印象を受けた。ドイツ、オーストリアに接し、ハンガリーや、ロシアなどにも近く、しかも山に囲まれているので、それらの文化が入っては来るが、どこにも逃げず溜まっていく場所のような。その点日本と似ているかもしれない。
毎日同じ町を歩いていても飽きない。必ず何かの発見がある。
というかプラハの旧市街は迷路のような町で、さらに僕は方向音痴なので、、同じ道を歩けないというのもある。
何気ない壁の落書きはセンスがよく、アートになっている(ヒップホップなのを除く。ヨーロッパ各地で見た奴らの落書きは、全部同じ人間が書いていると俺はにらんでいる。)。
壁の色自体もおもしろい。簡単に言えば土色で、ウィーンやロンドンなどの壁の上品な感じとは全然違う。ところどころ朽ちていたり、中身が剥き出しだったりして、何か重みがある。単に修理しているかどうかの差じゃないような気がする。

「壁の落書き(もちょっといい写真あったのですが、作品に使おうと思って。。)」
毎日ギャラリーや、名所、人形劇などに出かけるが、観光客狙いの場所を除けばチケット代は安いので、そんなに不自由しない。カメラは重いから気分次第で、持ち歩いたり持ち歩かなかったり。
シャッターチャンスにカメラを持っていないとすごくがっかりした気分になる。
町なら食い物にありつけるが、郊外に遊びに行ったとき、そこで食い物屋に入るのは勇気がいる。英語が通じない場合があったり、向こうがアジア人を見慣れていないのか、警戒されたりして(自意識過剰なのかもしれんけど)居心地が悪い。郊外ではレストランは数回しかいっていないような気がする。
チェコの若者はみな英語を話すが、僕は全くといっていいほど話せない。町を歩いていると、何度も道を聞かれた。しかしお役に立てたことは無い。間違った事を教えた事もある。あの白人のおっさんは無事ホテルについただろうか。。。
チェコの人は親切かもしれない。トラムに乗っていて、老人や、体の不自由な人が乗ってくると、若者は当然のように席を譲り、老人らは当然のように席に座る。さっぱりしていていい。
日本ならどうみてもチンピラにしか見えない兄ちゃんが、観光客に道を聞かれ、すごく親切に教えていた場面もよく見た。
これは、ヨーロッパ全般に言えるかもしれないが、たとえ初めてでも店に入る時は「ドブリーデン(こんにちは)」と挨拶をし、サービスを受けたら「ジェクエム(ありがとう)」、店を出るときは「ナスフレダノウ(さよなら)」。スーパーのレジのおばちゃんにだって言う時もある。日本では、ありえない(昔はあったのかもしれないが)。
プラハの中心地である旧市街はレストランが多い。チェコの伝統的な料理もあるが、中華、ピッツェリアも多い。ワインが安くて美味いが、パスタとかはあんまりな店が多かったなあ。
いずれまとめて美味い店などは紹介するが、MODRA ZAHRADAという店は、少し旧市街から離れているがパスタが美味かった。ワイン二杯+パスタで、650円くらいだった。
ちなみに、旧市街のレストランは、観光客ねらいの店が多く、こちらが観光客だとわかるとランチの時間でもディナーのメニューを持ってくる店がある。ランチのメニューを持ってこいって言うと不機嫌になる。この国では、まだ資本主義は行き届いてない。ある意味懐かしいが、その時はなめられてるとしか思えなかった。
レストランの料理もいいが、スーパーでパンとハムとチーズを買えばそれだけで毎日過ごせる。特にハムを食って感激してしまった。スーパーで買った5切れ40円ほどのハムが、涙の出るほど美味かった(飢えてたのか?)。内陸国であるためか、ハムやチーズの種類は半端じゃないが、魚はほとんど無い(あっても高い)。さかなクンの次に魚好きの僕には、最初苦痛だったが、その美味いハムのおかげで毎日すごせた(時にオイルサーディンの缶詰が僕を救った)。
チェコでかかせないのは、ビールである。毎日のように飲んでいた。
スーパーで缶ビール(350mm)は11kc(45円)。街中のレストランでも生ビール40kc(120円)くらいか。僕の泊まっていたHOTEL HASAに併設されたレストランでは、生が17kc(70円)。そりゃ現地のおっちゃんも(僕も)昼間から飲むよなあ。コカ・コーラより安いんだから。
チェコのビールは美味い。ピルスナーと呼ばれ、軽くてキレのある味。いくらでも呑めそうだが、2,3杯でいい感じに酔う。ちなみにアメリカのバドワイザーは、チェコのブドヴァルという土地のビールが元になっている。
休日は、ホテル併設のレストランで大宴会が夜中まであるから、なかなか寝られない日もあった。横の部屋の若者が、朝からステレオガンガンで、スパニッシュな音楽をかけていたから、こっちも壁をガンガン叩いたこともあった。
日本でも、旅先にはいい名所と悪い名所がある。いい名所は、景観を損なわないように気を使っている。
プラハは、映画のセットのような美しい街だった。もちろん、プラハにもいい名所と悪い名所があったが。
感動した名所は、プラハ城。
ヘンテコな名所は、テレビ塔。これがスゴイ。
それらは次回に。
- [2004/11/02 14:56]
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チェコ旅行記(2)〜墓地教会にてばちあたり
帰国して旅行記になかなか着手できなかった理由の一つはカメラである。
僕は旅行に一眼レフと、SMENAというロシア製のカメラ(見た目はおもちゃだけどすごくキレイに写る)を持っていった。フィルムは30本ほど。デジカメは無い。
つまり、現像したあと、スキャナで取り込み加工してという作業がすごく面倒だったのだ(小声)。未だに資金が無くてプリントしてないフィルムもある。
この旅は写真旅行でもあったのだ。一眼レフは重かったが、デジカメよりもおもしろい写真が撮れるので絶対持っていきたかった。そして、毎日のように携帯して写真を撮っていた。
チェコに来て一番見たかったものの一つが「コストニツェ(Kostnici)」。日本では「墓地教会」と呼ばれている。なんだ墓地教会って?って思った方、いいリアクションだねえ。もうちょっと待ってね。
++
首都プラハから列車で約55分。コリーン経由でクトナー・ホラという駅で下車。ちなみに、クトナー・ホラ駅は二つあり、一つはクトナー・ホラ・フラヴニー(Kutna hora hl)駅、そしてクトナー・ホラ・ムニュエスト駅である(※注1)。
コストニツェが近いのはフラヴニー駅の方。もう一方の駅は、クトナーホラもう一つの名所聖バルバラ大聖堂が近いらしいが、それは見てない(普通はそっち行くのかもしれん)。
駅を出るととすぐに案内版があり、それをたどって行くと見事に迷わずコストニツェにまで誘導してくれた。普通の町並みに現れたスッと立っているこじんまりとした教会。教会の周りは墓地でぐるりと囲まれている。え?だから墓地教会?甘い。入ろうとすると、ちょうど団体が入るとこだったので、時間をずらす事にした。
町並みを散歩する。クトナー・ホラはちょっと最近がんばってる田舎町と行った感じ。森や原っぱが多く町並みは普通のかわいい田舎の家だが、ちょっと外れると、でかいスーパーもあるし、道路も発達している。音楽ガンガンかけながら家建ててる大工さん。静かな町なのでよけいうるさい。歩いていると裏手にはサッカーグラウンド。あいにく誰もいなかったが、土手の芝生に座ってくつろぐ。それにしても今日はいい天気だ。
スッキリしたところで、そろそろいいかなと思い、教会の方に戻る。教会の向かいは売店&レストランだが、そんなに入りたくなる感じではない。勝手に敷地内に入ってブラブラしてると、すごく朽ち欠けている物置小屋。味出まくり。うおおお写真とりたい。でもまあ、今日はフィルム二本しか持ってないし、教会のあとで写真とればいいか。。。と思ったのがこの日の過ちであった。
墓地の間を通り、いざ教会内部へ。値段は30ck(チェコ・コルナ。約120円)そして、写真をとるには別料金を払わなければならない。15ck(約60円)。
受付はおばちゃんと、高校生くらいの女の子。英語を喋る客にはこの女の子が応対する。たぶんおばちゃんが英語できないから助っ人なのだろう。「あなたは中国人?」と聞かれたので、日本人だと答えると、日本語で書かれた手作りの案内をくれる。びっくりした。チェコで日本語など、日本料理屋以外で見てなかったからだ。どの名所も英語かスペイン語の案内どまりであったし、この小さな名所がそんなサービスしてくれるとは。しかもその文章が非常にきれいな日本語だったのにも驚いた。
++
ヒンヤリとした空気に暗い照明。階段を降りるうちに、僕の感動は頂点に達した。
骨・骨・骨!英語でいうとボーン・ボーン・ボーン!中国人がみたらコツ・コツ・コツ!である。

【写真:人骨鐘】
この教会の内部には、大量の人間の骨を集めて作られたオブジェが、壁から天井からいたるところに見事に飾られているのである。その数約40万本(4万人分だったかもしれん)。骨で作られた鐘、骨で作られた燭台、骨で作られた紋章、、、そしてそして、骨で作られたシャンデリア。。。

【写真:人骨シャンデリア】
不思議と怖くない。怖くないが、なんというか圧巻である。僕も写真ではずっと知っていたが実際にこの目で見てみるとニンともカンとも。こんなに大量の人間の骨が墓地に埋葬されずにオブジェとなっているのだ。いや、こうすることがある意味埋葬なのかもしれない。生きている人間に何かメッセージを送っているような気がする。これらの骨は、戦争や疫病で大量に死んだ人の骨も含まれているという。16世紀初頭、初めてこの骨を組み立てた僧侶の言葉が頭をよぎる。「MEMENTO MORI (死を思え)」
僕は30分ほど骨の一部一部を眺め、ようやくカメラに収めたい気持ちになった。
窓からの自然光を入れて、露光時間を長めにすればノンフラッシュでいい感じで撮れそうである。1枚、2枚と撮っていく。
さあ、5枚目を取ろうと思った瞬間。
「・・・」
カメラ沈黙。僕も沈黙。
おかしい。シャッターが下りない。電源はついたまま。でも電源が切れない。ウンともスンとも言わない。
ウンウン言ってるのは僕だけである。電源はついたままで完全にカメラが動かなくなってしまった。。。
電池が切れたのかもしれない → 全くまだまだ使える電池だった
電源ついたままで切れない → 電池切れたんなら電源切れるやろ
フィルムが無くなった → あと10枚は撮れる
カメラが壊れた → うそん。マジ?
バチがあたったのかもしれない → そうかもしれない。。。
実はさっき教会裏のサッカーグラウンドで急にもよおしてしまい、土手でタチチョンをしたのだ。。。
絶対それが悪かったに違いない(気づかなかった君は、教会に戻る時のシーンをもう一度見てみよう!)。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと心で謝りながら僕は教会を出た。
プラハに帰るとまだ4時くらいだった。結局とれた写真は4枚。まあ目に焼きつけたし、またチェコに来た時に必ず行こう。今日はもうおとなしくしてようと宿に帰り、ふと思い立ってカメラの電池を新品に換えた。動き出した。。。
いや、本当にまだまだ使える電池だったのよ。。。
※注1
チェコの鉄道の駅は、同じ名前のあとに「ほにゃらら」がつく事が多い。
例えば、首都プラハと名前がつく駅だけでも「プラハ・フラヴニー」「プラハ・ホレショヴィツェ」「プラハ・マサリコフォ」などとめちゃくちゃある。他の国から電車で来る時や、行く時はその方面によって発着する駅が違うので注意。
フラヴニーとは「中心の」という意味で、「歩き方」などには「クトナー・ホラ本駅」と書かれている。時刻表などでは「.hl」と略して書いてある。
僕は旅行に一眼レフと、SMENAというロシア製のカメラ(見た目はおもちゃだけどすごくキレイに写る)を持っていった。フィルムは30本ほど。デジカメは無い。
つまり、現像したあと、スキャナで取り込み加工してという作業がすごく面倒だったのだ(小声)。未だに資金が無くてプリントしてないフィルムもある。
この旅は写真旅行でもあったのだ。一眼レフは重かったが、デジカメよりもおもしろい写真が撮れるので絶対持っていきたかった。そして、毎日のように携帯して写真を撮っていた。
チェコに来て一番見たかったものの一つが「コストニツェ(Kostnici)」。日本では「墓地教会」と呼ばれている。なんだ墓地教会って?って思った方、いいリアクションだねえ。もうちょっと待ってね。
++
首都プラハから列車で約55分。コリーン経由でクトナー・ホラという駅で下車。ちなみに、クトナー・ホラ駅は二つあり、一つはクトナー・ホラ・フラヴニー(Kutna hora hl)駅、そしてクトナー・ホラ・ムニュエスト駅である(※注1)。
コストニツェが近いのはフラヴニー駅の方。もう一方の駅は、クトナーホラもう一つの名所聖バルバラ大聖堂が近いらしいが、それは見てない(普通はそっち行くのかもしれん)。
駅を出るととすぐに案内版があり、それをたどって行くと見事に迷わずコストニツェにまで誘導してくれた。普通の町並みに現れたスッと立っているこじんまりとした教会。教会の周りは墓地でぐるりと囲まれている。え?だから墓地教会?甘い。入ろうとすると、ちょうど団体が入るとこだったので、時間をずらす事にした。
町並みを散歩する。クトナー・ホラはちょっと最近がんばってる田舎町と行った感じ。森や原っぱが多く町並みは普通のかわいい田舎の家だが、ちょっと外れると、でかいスーパーもあるし、道路も発達している。音楽ガンガンかけながら家建ててる大工さん。静かな町なのでよけいうるさい。歩いていると裏手にはサッカーグラウンド。あいにく誰もいなかったが、土手の芝生に座ってくつろぐ。それにしても今日はいい天気だ。
スッキリしたところで、そろそろいいかなと思い、教会の方に戻る。教会の向かいは売店&レストランだが、そんなに入りたくなる感じではない。勝手に敷地内に入ってブラブラしてると、すごく朽ち欠けている物置小屋。味出まくり。うおおお写真とりたい。でもまあ、今日はフィルム二本しか持ってないし、教会のあとで写真とればいいか。。。と思ったのがこの日の過ちであった。
墓地の間を通り、いざ教会内部へ。値段は30ck(チェコ・コルナ。約120円)そして、写真をとるには別料金を払わなければならない。15ck(約60円)。
受付はおばちゃんと、高校生くらいの女の子。英語を喋る客にはこの女の子が応対する。たぶんおばちゃんが英語できないから助っ人なのだろう。「あなたは中国人?」と聞かれたので、日本人だと答えると、日本語で書かれた手作りの案内をくれる。びっくりした。チェコで日本語など、日本料理屋以外で見てなかったからだ。どの名所も英語かスペイン語の案内どまりであったし、この小さな名所がそんなサービスしてくれるとは。しかもその文章が非常にきれいな日本語だったのにも驚いた。
++
ヒンヤリとした空気に暗い照明。階段を降りるうちに、僕の感動は頂点に達した。
骨・骨・骨!英語でいうとボーン・ボーン・ボーン!中国人がみたらコツ・コツ・コツ!である。

【写真:人骨鐘】
この教会の内部には、大量の人間の骨を集めて作られたオブジェが、壁から天井からいたるところに見事に飾られているのである。その数約40万本(4万人分だったかもしれん)。骨で作られた鐘、骨で作られた燭台、骨で作られた紋章、、、そしてそして、骨で作られたシャンデリア。。。

【写真:人骨シャンデリア】
不思議と怖くない。怖くないが、なんというか圧巻である。僕も写真ではずっと知っていたが実際にこの目で見てみるとニンともカンとも。こんなに大量の人間の骨が墓地に埋葬されずにオブジェとなっているのだ。いや、こうすることがある意味埋葬なのかもしれない。生きている人間に何かメッセージを送っているような気がする。これらの骨は、戦争や疫病で大量に死んだ人の骨も含まれているという。16世紀初頭、初めてこの骨を組み立てた僧侶の言葉が頭をよぎる。「MEMENTO MORI (死を思え)」
僕は30分ほど骨の一部一部を眺め、ようやくカメラに収めたい気持ちになった。
窓からの自然光を入れて、露光時間を長めにすればノンフラッシュでいい感じで撮れそうである。1枚、2枚と撮っていく。
さあ、5枚目を取ろうと思った瞬間。
「・・・」
カメラ沈黙。僕も沈黙。
おかしい。シャッターが下りない。電源はついたまま。でも電源が切れない。ウンともスンとも言わない。
ウンウン言ってるのは僕だけである。電源はついたままで完全にカメラが動かなくなってしまった。。。
電池が切れたのかもしれない → 全くまだまだ使える電池だった
電源ついたままで切れない → 電池切れたんなら電源切れるやろ
フィルムが無くなった → あと10枚は撮れる
カメラが壊れた → うそん。マジ?
バチがあたったのかもしれない → そうかもしれない。。。
実はさっき教会裏のサッカーグラウンドで急にもよおしてしまい、土手でタチチョンをしたのだ。。。
絶対それが悪かったに違いない(気づかなかった君は、教会に戻る時のシーンをもう一度見てみよう!)。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと心で謝りながら僕は教会を出た。
プラハに帰るとまだ4時くらいだった。結局とれた写真は4枚。まあ目に焼きつけたし、またチェコに来た時に必ず行こう。今日はもうおとなしくしてようと宿に帰り、ふと思い立ってカメラの電池を新品に換えた。動き出した。。。
いや、本当にまだまだ使える電池だったのよ。。。
※注1
チェコの鉄道の駅は、同じ名前のあとに「ほにゃらら」がつく事が多い。
例えば、首都プラハと名前がつく駅だけでも「プラハ・フラヴニー」「プラハ・ホレショヴィツェ」「プラハ・マサリコフォ」などとめちゃくちゃある。他の国から電車で来る時や、行く時はその方面によって発着する駅が違うので注意。
フラヴニーとは「中心の」という意味で、「歩き方」などには「クトナー・ホラ本駅」と書かれている。時刻表などでは「.hl」と略して書いてある。
- [2004/10/02 14:51]
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