ウカタマ!

辞書連想 第十回 「撥鐙法」  

はっとうほう 【撥鐙法】

書道で、筆を浅く執り、自由に筆を動かして書く筆法。

(初めての方は、本編の前に辞書連想「はじめに」を読んでください)
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小学1年の時、新聞に顔写真が載った。
書道コンクールで1等を取ったのだ。僕は毛筆のぶっとい太字で「花」と書いた・・。いや、書いた記憶はないのだが新聞に載ってるのだから書いたのだ。



小学1年から4年まで書道を習っていたがやめた。だから僕の字はキタナイ。
先生は書道家の母親だった。
その頃は自分の母親が書道の先生だと言うのを隠していた。僕は字が下手だし、比較されるのがいやだったのだ。
その頃は単純に我慢が足りなくて嫌でやめてしまったが、今考えるとその教え方は面白く興味深い。

「墨をたっぷりつけ、白い半紙に筆を下ろし、筆のバネを利用して思い切って線を引く。書き順が正しく、字が半紙内に収まっていれば自由に心のまま書いてよい。」

小学生に対してはこのような教え方をする。いわゆる形の整った字は書かせない。
こうすると、子ども達は頭でっかちの「魚」や、太い線でもくもくとした「雲」を書く。その字は非常に自由で、見ていて飽きない字である。

ある程度のルールを与えて、あとは子どもの感性にまかせる。
僕はこの教え方は実にすばらしいし、面白いと思う。
普通の習字教室では、筆をこの角度で入れ、こうハネれば美しい字が書けるという技術を教えるが、子どもにこんな事を教えるのは全くつまらないと思う。

美しく整った字を書く事ばかりが芸術の魅力ではない。大人の技術を教えて型にはめた字を書かせるより、子どもの頭にあるイメージを字にした方が断然素晴らしいし、子どものためでもあるのだ。

※ちなみにこういう教え方をするのは毛筆だけで、硬筆(えんぴつ)では、形の整った字を教える。

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「王義之(おうぎし 306〜361)」という書の大家がいる。中国の書道家で、現在の中国や日本の書道の源流になり、空海もその書を学んだ。

「撥鐙法」とは、この「王義之」の書を研究した後世の人々が、筆の入れ方、運び方などの技術をまとめた方法である。簡単に言えば筆を立てて、筆の中心を使って書くというものだが、と言っても「王義之」が実際にそう教えたわけではない。彼の書を見た研究家が、「こうやって書いているんちゃうん?」と想像した方法なので、推測の域を超えない。

もちろんこういった「技術」は必要だが、芸術においてそれ以上に大切なものは「心」や「イメージ」だと考える。「書」は「書」であると同時に、「墨の固まり」であり、「心の固まり」でもあり、ただの「白と黒」でもある。
中国の書は現在、全く面白くない。型にはまったまま抜けきれていないのだ。
対して日本の書道は現在様々な形態に発展していて非常に面白い。

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小学校の頃、普通の塾で習字を習っているY君が僕に言った。
「○○書道(myhurtの母が所属する書道協会)は子どもは元気な字を書いたらいいという教え方だから、あれじゃ全然綺麗な字を書けない」
その時はそうなのかもしれないと思ったが、今は全くそう思わない。

僕は作り笑いして敬語を使える子どもをすごく気持ち悪いと思う。
書道はその面白さを理解する前に辞めてしまったが、その頃母親に教えられた事は、知らず知らずのうちに僕の身体に染み付いているような気がする。

(おしまい)
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「型」は怖い。中国は型から外れる事を恐れている。
しかし、「型」にはまったままも怖いが実は「外れる」事も怖い。
「外れる」以上は結果を残さなければ意味が無いからだ。
日本は「外れた」まま進むべき道を見失っている。
なんか堅くなっちゃいましたが、最近日本が中国の現実に目を向け始めているのはいい兆候だと思います。中国を見ることで日本も見えてくる。

辞書連想とりあえず今回で休憩に入ります。

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